140字で紡ぐということ

SNSについて考える

高校生までは「ホムペ」

私が大学生の頃。

Twitterが流行りました。

高校生のときに主流だったのは「デコログ」。

知っていますか?懐かしい~!って思った人は同年代ですね。

まさにブログです。自分の思いをつらつらと書くということを高校生のときからやっていました。

あとホームページ。「ホムペ」とか言ったりして。

カップルや仲のいい友達と一緒にやっていました。周りの友達もやっていない子がいないくらい流行っていました。

「制限なく自分の思いを言葉にする」

そういうことが当たり前だったんです。

公開日記帳みたいな。だらだらと書いたものを垂れ流していました。

そこにやってきたのがTwitter。

表現に対する「制限」

「Twitterは140字まで」

それはなかなかの衝撃でした。

私は小学校のときから作文が得意でした。

自分の思いを丁寧に、繊細に、多くの言葉を紡いで表現することに魅力を感じていたし、書いているうちにいくらでも言葉が出てくるような感覚はとても楽しくて好きだった。

実際に夏休みの宿題で書いた読書感想文で入賞したことが数回あり、「作文が得意だ」という自負がありました。

でもTwitterは制限がある。これがピンときませんでした。

書きたいことが溢れるあの感覚がいいのに、制限してなんの意味があるんだろう。

そう思いながらミーハーな私はTwitterを始めました。

140字。

「つぶやき」で「吐き出す」

tweetは「小鳥のさえずり」という意味があるそうです。

「さえずること」を調べると、”小鳥がしきりに鳴き続ける”という意味がでてきました。

うんうん、たしかに、Twitterを始めた私はさえずっていました。

ただ思うままに。

思いつく言葉をまとめることなく出てきたものから。

まるで頭からこぼれ落ちているかのような。

字数のない作文なら最初から詳細を説明していたはずなのに、そんなことしている場合じゃない。

本質の本質の奥底を書かないととても140字はおさまらない。

感情そのものを率直に書いていました。

「制限」があるはずなのに、その制限があるおかげで「本質」を表現することができる。

なるほどね。

人は無制限だとすがりついてしまう

一人暮らしを始めると、実家に住んでいたときより親と仲良くいられる。

遠距離恋愛のときはうまくいっていたのに、同棲を始めると喧嘩ばかり。

人間は、いくらでも制限なく与えられると甘えてしまうのかもしれません。

いつまでもいてくれる。それはつまり、終わりがいつなのかわからない。

終わりがわかっていれば、その間だけは精一杯優しく接することも、めいいっぱい可愛い自分を見せることもできるのに、分からないから不要なものまで出してしまう。

Twitterの140字から話とびすぎだろ、しかも重。

と思った人がいるかもしれません。

そうなんです、話とびすぎ。しかも重いし粘い。ネガティブな私が書きそうな文章だ。

こんなふうに飛んで飛んで考えるのが好きです。

きっと小学生のとき読書感想文を書いていたら言葉が次々と出てきて楽しかったのはこういうところ。

だから私はブログが好き。

でもTwitterも好き。

「はぁー」

だけでも成り立つから好き。

文字を紡ぐ。素敵ですね。

そんな感じで140字を深堀してみましたとさ。

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